to be or not to be [ひぐらし硯 本のこと]
やっと2月になり、だいぶ、落ち着いてきたのですが、わたしはまったく落ち着かず。です。1月に、無理やりというか、半ば、強引に開店を決めてしまったので、そのツケを今払っているような心境いや、まさに現実に起こっていることです。たくさんの問題を保留にしたまま踏み切ったのは、いつまでたってもその問題は解消できないかもしれないし、やってみないとわからないと思うようになったから。
ひとつは、新刊と古書の並列販売をする方法です。
実は並列販売している書店さんはわりと多くあります。多くは「古書」と外目でわかるものです。
新刊はやはり新刊書店のように手にとって自由に見られます。
シールやハンコで分けられている場合は別の場所にあり、一緒の場合はカバーやグラフィン紙がかかっていて自由には見られないようになっています。ただ、そういう古書の場合は定価販売のものよりも、希少性のあるものだったりするので、もともとが違う生き物ような気もしています。
なんとか普通に楽しめる方法はないものなのか、と思っていました。
そうしたことで、わりとフランク?にというか、混ざった感じの棚を考えました。
それをやってみたかったのですが、そうした反面、開店準備からずっと悩んでいたことがありました。
それは、古書よりもいただく新刊書の状態が気になることです。
決して誤解のないように言いますが、必ずしも悪いものを送ってきたという話ではないのです。確かに新刊書店ではOKラインだと思っても、古書と合わせるとどうなのか。今の棚では、それくらい微妙に古書も古書ではないということなのかとも思います。
でも、それはゆくゆくは店舗での保存状態の問題にもなっていくだろうとも考えているのです。
新刊書店にいたときはなるべくきれいな本を提供したいと思っていました。厳しく確認をしていました。ちょっとでもおかしいと電話、また電話で、何度か取り替えてもらったこともあります。その反面、既刊販売での時には、ちょっとその査定も甘くならざるをえないというのはありました。というのは、結局のところ「本は天下のまわりもの」であるという宿命があったからです。
本が啓蒙というだけのものじゃなくなってきたとき、今だからこの本のこの中身は楽しい、その楽しさをここ3年、5年単位でわかってくれれば命を終えてもいいんじゃない?というものもあります。たぶん、それは「サブカルチャー」と言われるジャンルに多くあるように思います。
読み進んでくたくたになって、「ごちそうさま」と言われる本は幸せだと思います。
それならくたくたになったほうがいいさという著者(出版社)の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
なんだかそういう気がしてならないのです。
でも、定価で買う以上はきれいな状態のものを買いたいというのは、世の情けかと。
ということで、やはり新刊(これから「定価販売の商品」略して「定価商品」ということにします)は新刊らしく、しなければ、いけないのではないか?と疑問がよぎり、こういう結果に至りました。
近い未来、定価商品はかなり少なくなっていくでしょうし、それをみんなでうまくどのようにまわしていくのか?ということを考えなくてはならないのかもしれません。
特に、図書館のオーダーにもあがりにくい本の場合。といっても、日本人の人口は少なくなれば、当然他の経費も削られるように、図書館の経費も確実に落とされるはずですから、ますます、町の本屋さんはどうあったらいいのか、お客様と一緒に模索していかなければならないように思います。
定価商品、また、希少性の高い定価外商品にはカバーをかけていくことにしました。
なんて、吉田さんの本のカバーをかけながら、考えていました。
ひとつは、新刊と古書の並列販売をする方法です。
実は並列販売している書店さんはわりと多くあります。多くは「古書」と外目でわかるものです。
新刊はやはり新刊書店のように手にとって自由に見られます。
シールやハンコで分けられている場合は別の場所にあり、一緒の場合はカバーやグラフィン紙がかかっていて自由には見られないようになっています。ただ、そういう古書の場合は定価販売のものよりも、希少性のあるものだったりするので、もともとが違う生き物ような気もしています。
なんとか普通に楽しめる方法はないものなのか、と思っていました。
そうしたことで、わりとフランク?にというか、混ざった感じの棚を考えました。
それをやってみたかったのですが、そうした反面、開店準備からずっと悩んでいたことがありました。
それは、古書よりもいただく新刊書の状態が気になることです。
決して誤解のないように言いますが、必ずしも悪いものを送ってきたという話ではないのです。確かに新刊書店ではOKラインだと思っても、古書と合わせるとどうなのか。今の棚では、それくらい微妙に古書も古書ではないということなのかとも思います。
でも、それはゆくゆくは店舗での保存状態の問題にもなっていくだろうとも考えているのです。
新刊書店にいたときはなるべくきれいな本を提供したいと思っていました。厳しく確認をしていました。ちょっとでもおかしいと電話、また電話で、何度か取り替えてもらったこともあります。その反面、既刊販売での時には、ちょっとその査定も甘くならざるをえないというのはありました。というのは、結局のところ「本は天下のまわりもの」であるという宿命があったからです。
本が啓蒙というだけのものじゃなくなってきたとき、今だからこの本のこの中身は楽しい、その楽しさをここ3年、5年単位でわかってくれれば命を終えてもいいんじゃない?というものもあります。たぶん、それは「サブカルチャー」と言われるジャンルに多くあるように思います。
読み進んでくたくたになって、「ごちそうさま」と言われる本は幸せだと思います。
それならくたくたになったほうがいいさという著者(出版社)の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
なんだかそういう気がしてならないのです。
でも、定価で買う以上はきれいな状態のものを買いたいというのは、世の情けかと。
ということで、やはり新刊(これから「定価販売の商品」略して「定価商品」ということにします)は新刊らしく、しなければ、いけないのではないか?と疑問がよぎり、こういう結果に至りました。
近い未来、定価商品はかなり少なくなっていくでしょうし、それをみんなでうまくどのようにまわしていくのか?ということを考えなくてはならないのかもしれません。
特に、図書館のオーダーにもあがりにくい本の場合。といっても、日本人の人口は少なくなれば、当然他の経費も削られるように、図書館の経費も確実に落とされるはずですから、ますます、町の本屋さんはどうあったらいいのか、お客様と一緒に模索していかなければならないように思います。
定価商品、また、希少性の高い定価外商品にはカバーをかけていくことにしました。
なんて、吉田さんの本のカバーをかけながら、考えていました。
2010-02-05 13:59
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今後、定価商品を仕入れる基準も見直していければと考えています。
もちろん、定価商品を入れないというわけではありません。
ちなみに、
今回の、吉田豪さんの本は
「本人本02 hon・nin列伝 セキララなオンナたち」1554円です。
特に麻生久美子さんのセキララな感じが、素敵です。
荻野目慶子さんのも、また味というか熟成感がみちみちています。
by 4560070512 (2010-02-05 16:20)
いつも、いつも、ナカムラ様
チェックしていただき、まことにありがとうございます。
当初も定価商品の仕入れについてはある程度考えていたのですが、考えている基準とそのものには隔たりがあると感じています。厳しくというよりも、なにか基準を設けることが古書との共存が可能かと考えています。
古書にもまた楽しい発見がたくさんあります。きっと古書店の諸先輩方には「当たり前」のようなことでも、わたしにはとても新鮮で楽しい発見ばかりです。
今度はそんなことをご紹介できればと思います。
もちろん、そのほかの本に関するもろもろのことなどにも触れ、視野を広げてみたいと思っております。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
by 4560070512 (2010-02-05 17:12)