文学フリマに行ってきました。 [ひぐらし硯 日々のこと]
「文学フリマ」に行ってきました。今までは仕事の都合でなかなか難しかったのですが、やっと行ける念願のイベントでした。
どうして興味があったのか?と言えば、想像するに、ほぼ「テキスト」に近い販売というのは、いったいどういうものなのか?ということがとても気になっていたからだと思います。
購入したのは、3冊。ほんとは、もう1冊買いたかったものがあったのですが。迷っている間に、店に戻る時間が来てしまいました。一期一会だと自分でも言っているくせに。
しかも、今回もまたもや会場の撮影など、まったく気持ちの余裕もなく。すみません。
行きたいとずっと思っていたときから気になっていたのは、売り方や、どういうものや形で売られているのか、ということで、文庫本の形式なのは、カラーコピーのような紙質での帯やカバーもありましたし、B5版の場合は、光沢紙のような紙質の表紙が目立ったような気がします。あと「エクスポ」のような感じのつくりとか、おしゃれさんなものもありました。
中には立体に組み立てて小説にしてみたり、がしゃぽん形式にしてみたり、ツイッター形式の小説なんていうのもチラホラ、流行ですかね。前述した「テキストだけ」というわけでもないようで、雑貨小物などの、文章(テキスト)×「何か」の販売というものもありました。見せ方や売り方など、工夫もされているし、されてなさすぎのところもありますし、玉石混交空気感も面白かったです。
うまく言えないのですが、テキストってそれ単体に価値があるものも確かにあるのかもしれないけど、何かと組み合わさって初めて形になるものもあるんですよね、それもやはり「文学」なのですよね。例えば、と言われると、ふっと北園克衛さんとか思い出しちゃうんですが。
購入をためらった1冊というのも、その内容と版型がちょっと合っていなかったという点だったように思います。それはきっとテキストであれば買うのだろうし、純粋に好みの作品なのですが、なぜか紙に落とし込んだときの時点では、もう一つハードルが自分の中で加わっているのに、帰りながら気がつきました。
コード化した流通では見えないものでも、足を運べば「ある」のです。
検索だけでは、つながらないこと、見えないこと、知らないことが多いようにも感じています。
どうして興味があったのか?と言えば、想像するに、ほぼ「テキスト」に近い販売というのは、いったいどういうものなのか?ということがとても気になっていたからだと思います。
購入したのは、3冊。ほんとは、もう1冊買いたかったものがあったのですが。迷っている間に、店に戻る時間が来てしまいました。一期一会だと自分でも言っているくせに。
しかも、今回もまたもや会場の撮影など、まったく気持ちの余裕もなく。すみません。
行きたいとずっと思っていたときから気になっていたのは、売り方や、どういうものや形で売られているのか、ということで、文庫本の形式なのは、カラーコピーのような紙質での帯やカバーもありましたし、B5版の場合は、光沢紙のような紙質の表紙が目立ったような気がします。あと「エクスポ」のような感じのつくりとか、おしゃれさんなものもありました。
中には立体に組み立てて小説にしてみたり、がしゃぽん形式にしてみたり、ツイッター形式の小説なんていうのもチラホラ、流行ですかね。前述した「テキストだけ」というわけでもないようで、雑貨小物などの、文章(テキスト)×「何か」の販売というものもありました。見せ方や売り方など、工夫もされているし、されてなさすぎのところもありますし、玉石混交空気感も面白かったです。
うまく言えないのですが、テキストってそれ単体に価値があるものも確かにあるのかもしれないけど、何かと組み合わさって初めて形になるものもあるんですよね、それもやはり「文学」なのですよね。例えば、と言われると、ふっと北園克衛さんとか思い出しちゃうんですが。
購入をためらった1冊というのも、その内容と版型がちょっと合っていなかったという点だったように思います。それはきっとテキストであれば買うのだろうし、純粋に好みの作品なのですが、なぜか紙に落とし込んだときの時点では、もう一つハードルが自分の中で加わっているのに、帰りながら気がつきました。
コード化した流通では見えないものでも、足を運べば「ある」のです。
検索だけでは、つながらないこと、見えないこと、知らないことが多いようにも感じています。
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