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木曜日 創刊号 [新着ごあんない(本)]

そういえば、最近、「奮発した」って聞きませんね。
昔は、お母さんは家族の前でこの言葉を口にしたりしたものです。

ちょっと前の日本はまだまだ貧しく、わたしの子供時代なども、まだたまに停電はありました。テレビは「しばらくお待ちください」の静止画像に切り替わるし、もらえばなんでも仏壇にあげちゃうし、いいものはなんでも布を掛けるか専用カバーがありました。ケーキも生クリームは見かけるけど、主流は日持ちのするバタークリームで。しかもバターというには難しい植物油な、いや、つまりはマーガリンで。油特有の臭いに耐えられず口をつけなかったので、親にあまりいい顔をされなかったのを憶えています。

ここのところのさまざまなニュースで「贅沢」って何だろうな~と、思ったりするわけで、そうしたこともあり、わたしの記憶にある「まだ貧しい日本」というのを反芻してみたのでした。わたし個人に置き換えてみれば、ここ10年位で体内時間が早くなり、奮発の頻度はあがり、その分、1000円単位だった「奮発」が100円単位になっているようにも思え、奮発度は変わらないかもしれないけれど、ほんとうの意味での「奮発」であるのかどうなのか。わからなくなってきているようにも思えます。

と、出ない答えの話はさておき、新入荷のお知らせです。



リトルプレスで、こういうタイプの冊子はよく手にしており、さらに言えば、中身は面白そうなのに冊子の作りが残念なものが多くあります。大概は、「こちらの方が安い」と印刷会社に押され、それでいいか、と、ふと納得してしまうというものです。従来ならば、作ったモノを公にすることで目標を達するということであれば、それでよかったのかもしれません。でも、表現する方法はもう紙だけではなく、そこで紙にする必要もありません。

作り手がそれでよいとしても、それを橋渡しする売り手のわたしは、受け手の、なかなかいいものだと思っているのに買わない「もやもや」を、はっきりと口にしなければいけないような気がしています。

製作費が高ければいいというわけではありません。でも、自分たちがこうでありたいという最終の仕上がりの形があるはずで、そこの差のギリギリのところをどう狭めるかということなんだと思います。

この「木曜日」を見たときは、「さすがプロ」と生意気にも口に出てしまいました。それぞれフリーで活躍されていますが女性三人で作られた小冊子です。「プロ」と先ほどは言いましたが、作り手にプロもアマチュアもなくすべて作り手は受け手にとって「プロ」です。無料(フリー)であっても、受け手の時間と手間を取りますので、同じことです。現場経験を重ねている人である場合とそうでない場合と、明確に冊子に出ることがあります。とはいえ、面白いことに経験値のない場合の方が、かえって、妥協ギリギリに合わせていくということもあったり、プロだから出来がいいものを作れるかというとそうでもないし、本を作るというのは技術は必要ですが、それだけではないのだな、と、強く思います。

本当に「本」というのは、生き物だなと思います。
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