Witchenkare(ウィッチンケア)取り扱い始めました [新着ごあんない(本)]
文芸誌を買った、買っている方っていまどれくらいいらっしゃるのでしょう。
わたしは何誌か定期購読していた時期がありました。
2つの良いことがありました。
一つは仕事上の理由ですが、書籍になっていない段階で読むことができること。店頭に並ぶ時にはすでに読んでいるのでどんな内容なのかもわかりますし、どうすれば売れるのか、そもそも売れるのか売れないのかもわかります。実際本にならない作品や若手の作家さんのものもあります、とてもいい作品でもそれがすぐ本になるとは限りません。短編の場合はまとまらないと本にはなりにくいし、さらに多くの部数が見込めない場合など、いくらよいものでも売れる売れないというのは、また別の次元の話となるからです。
もうひとつは選ぶことなくいろいろな作品を読めるチャンスであること。食わず嫌いも発見できたりいいことありました。選ぶことなく読むというのは、中にはハズレもあるということで嫌がる方もいらっしゃるかもしれません。わたしだって得して面白くためになる記事や文章「だけ」読みたいです。でも、それをどう探し当てていくのか。人に勧められるのも、サイトや広告で見てとか、いろいろと選ぶ機会はあると思いますが、できれば、自分で自分に合うものを探してみたいと思っています。ちょっとあまのじゃくなのかも。
でも、誰かに後押しされてそれでいいやっていうのって、楽かもしれないけどちょっと怖い。そんな感じがします。ひとつひとつ疑い出したらキリがないというのはわかっていますが、楽をするのもキリがないような気がしてなんだか怖いから。怖がりなのかもしれません。
Witchenkare(ウィッチンケア)は「文芸誌」とはいっても、個々で持ち寄って出されている文芸同人誌という感じの雰囲気ですが、掲載されている方はプロのライターさんなどがほとんどです。プロとアマチュアとで厳しく区別することはありませんが、やはり「見せる」文章を意識した人と意識していない人の違いはあると思います。そうした意味では安心してお読みいただけます。
表紙や中の作品を読んでも、昔からある文芸同人誌のようなオーソドックスなたたずまいで落ち着きがあります。写真と文章の微妙な緊張を思わせる組み合わせは、以前の文芸誌「新潮」のような感じもします。小説ごとの合い間、最初のページに、ぐっと切りこんでくるモノクロの写真が程良い緊張感を出していました。緊張がなぜかちょっとした息抜きとなり、リセットできて心地よいのです。
文芸誌はハガキのようなものだと思います。
誰もが気軽に読むことで参加し、より多くの人に目に触れることにより、作家も書く場所ができる。人の目が多くあればある程、その目を意識したよいものが生まれます。読んでも書いても、参加することに意義がある。そんな文芸誌がわたしは好きです。
わたしは何誌か定期購読していた時期がありました。
2つの良いことがありました。
一つは仕事上の理由ですが、書籍になっていない段階で読むことができること。店頭に並ぶ時にはすでに読んでいるのでどんな内容なのかもわかりますし、どうすれば売れるのか、そもそも売れるのか売れないのかもわかります。実際本にならない作品や若手の作家さんのものもあります、とてもいい作品でもそれがすぐ本になるとは限りません。短編の場合はまとまらないと本にはなりにくいし、さらに多くの部数が見込めない場合など、いくらよいものでも売れる売れないというのは、また別の次元の話となるからです。
もうひとつは選ぶことなくいろいろな作品を読めるチャンスであること。食わず嫌いも発見できたりいいことありました。選ぶことなく読むというのは、中にはハズレもあるということで嫌がる方もいらっしゃるかもしれません。わたしだって得して面白くためになる記事や文章「だけ」読みたいです。でも、それをどう探し当てていくのか。人に勧められるのも、サイトや広告で見てとか、いろいろと選ぶ機会はあると思いますが、できれば、自分で自分に合うものを探してみたいと思っています。ちょっとあまのじゃくなのかも。
でも、誰かに後押しされてそれでいいやっていうのって、楽かもしれないけどちょっと怖い。そんな感じがします。ひとつひとつ疑い出したらキリがないというのはわかっていますが、楽をするのもキリがないような気がしてなんだか怖いから。怖がりなのかもしれません。
Witchenkare(ウィッチンケア)は「文芸誌」とはいっても、個々で持ち寄って出されている文芸同人誌という感じの雰囲気ですが、掲載されている方はプロのライターさんなどがほとんどです。プロとアマチュアとで厳しく区別することはありませんが、やはり「見せる」文章を意識した人と意識していない人の違いはあると思います。そうした意味では安心してお読みいただけます。
表紙や中の作品を読んでも、昔からある文芸同人誌のようなオーソドックスなたたずまいで落ち着きがあります。写真と文章の微妙な緊張を思わせる組み合わせは、以前の文芸誌「新潮」のような感じもします。小説ごとの合い間、最初のページに、ぐっと切りこんでくるモノクロの写真が程良い緊張感を出していました。緊張がなぜかちょっとした息抜きとなり、リセットできて心地よいのです。
文芸誌はハガキのようなものだと思います。
誰もが気軽に読むことで参加し、より多くの人に目に触れることにより、作家も書く場所ができる。人の目が多くあればある程、その目を意識したよいものが生まれます。読んでも書いても、参加することに意義がある。そんな文芸誌がわたしは好きです。